こんなはずでは、と思ったら

子育ては長い長いものです。何事にもほどよく手を抜くことがなにより大切になってきます。でないと何年も続く日々に耐えられる人はほぼいないでしょう。ここでの適当とはいい具合の加減のことをいいます。子育ては適当に、これは無責任にという意味ではありません。その力んだ肩のちからを抜くところからはじめてみてほしいのです。   こんなはずでは、と思ったら あなたは、私の子ども時代はこんなつらい思いをしていたから、自分が親になったときはこうするんだ、という目標を掲げてはいませんか。もちろんそれはとても大切なことです。自分がされてきて嫌だったこと、苦痛だったことをわが子には経験させまいとするのは当たり前です。 けれど、その考えに縛られすぎてしまって、思いどおりにならなかったとき、こんなはずでは、と思うときはありませんか。自分が掲げた目標があるがゆえに、がんじがらめになってはいないでしょうか。 こんなはずでは、と思うことの理由のひとつに、子どもが思いどおりにしてくれないからというものがあります。あなたは子どもを自分の意思どおりに操ろうとしていませんか。こうしてほしいのに、こうしなくちゃダメなのに、という考えにとらわれてはいませんか。子どもは人間です。自分の意思や考えを持った人間なのです。 育てるというのは意のままに操ることとは違います。思いどおりに動かなくて当然なのです。こんなはずでは、という思いが頻繁に起こるようなら、それは子どもを自分の思うようにコントロールしようとしているだけなのかもしれない、と捉えるようにしてみてください。そして、子どもを観察してみてください。   子どもを観察してみる 思いどおりにいかずにいら立ちを覚えたら、一旦深呼吸をしてください。そして、何を嫌がっているのか、何を訴えているのかに耳を傾けてみてください。はじめはそんなことを観察している余裕など持てないかもしれません。けれどいつまでも子どもの訴えを無視していては、子どもの心は窮屈な部屋のなかに閉じ込められているのと同じ状態です。 子どもの頃に自分の声が誰にも届かず、認められないという考え方がクセづくと、自分という人格を、自分で否定するようになることがあります。自分という存在に自信が持てず、自己肯定ができなくなっていく恐れがあります。子どもの頃に受けた影響によるそれは、学校生活や成人してからも変わらず、社会で生きていく方法につまずきを覚えるようになることもあります。   見守るという子育て まずは子どもが何をしているのか、何をしようとしているのか、ひたすら観察してみてください。ときには軌道修正も必要です。他人への迷惑や大けがなどをしない程度に、観察してみてください。それは何もしていないのではなく、見守るというかたちの立派な子育てです。 たとえ小さなことでも、自分の意思で行動して経験すると、それは成功体験へのきっかけになります。成功体験が積み重ねられることで、人間は自分という存在に自信を持てるようになります。自分を大切にすることを学習します。 それは生きていくうえで欠かせない大切な考え方です。サボっているのではなく、見守るという子育てをすると、子どもはのびのびと自分らしさをつくり上げることができるでしょう。   意思を尊重する 観察すること、見守ることに慣れてきたら、子どもの考えを尊重してください。ひとりの人間として扱うことはとても大切です。 いつもは時間がないからそんな暇がないというのなら、いつもより15分早く行動をはじめてみましょう。子どもが何かに興味を抱いても、見守ることができます。見守ることができたら、その興味に付き合うことができるようになります。興味に付き合えるようになったら、子どもが自分の考えを表現できるようになってくるでしょう。 そんな一連の流れは、15分早く行動を始めるだけでも実行することができます。時間の管理は大人であるあなたが引き受け、余裕を持たせた環境のなかで子どもが可能なかぎり自由に動けるようにしてみましょう。そうしているうちに、心の余裕が、ほんの少しずつかもしれません、それでもいっぱいいっぱいの頃よりほんの少しだけ心の余裕ができたら、子どもの意思を尊重できるようになるでしょう。     子どもはコントロールするものではなく見守るものという考え方にシフトできると、こんなはずでは、という思いでもどかしくなることは減るのではないでしょうか。適当でいることは、結果的に子どもをのびのびと育てることにつながります。どうか力みすぎない子育てという考え方にも目を向けてみてください。